岐阜駅北口のバスロータリーの更に北。赤色と白色のツートンの路面電車が静態保存されています。
名鉄モ510形式。元々、美濃電気軌道セミボ510形式として大正15(1926)年に日本車両製造で製造された路面電車です。
路面電車ではありますが、アメリカのインターアーバンの影響を受け、市内の路面軌道区間と、郊外の専用軌道区間とを直通することを前提としています。現在のLRT・LRVのご先祖様みたいなやつです。
路面電車区間と郊外電車区間とを直通して走るため、ドア位置は高床ホーム前提の高さになっています。路面区間では、停車する度にステップがぴょこっと飛び出します。
路面電車区間は、車両限界が狭いことが多いため、前から見るとこのように縦に長い「馬面」に。
前面が流線形になっているのも、ドア横の戸袋窓が丸いのも、当時のアメリカの流行をそのまま取り入れたものです。
先頭には、立派な連結器もついています。郊外では最大で3両編成で運行されていました。
公道側から、車内を覗けるようになっています。
運転席に椅子はありません。運転士は立ったまま運転していました。
広告類は撤去されているみたい。ちょっと残念。
客席はなんとクロスシートです。モケット色も高級感があります。
……なお、非冷房の模様。
名鉄車両にありがちな、おサルの挟み込み注意シールの下には、現在の防犯警告シール。まあ、そりゃあイタズラ防止で機械警備付けますわな、この立地だと。
パンタグラフは、よく見ると細いワイヤーで止めてあります。……って事は、バネとか機構とか生きてるって事ですよね。おそらく。
展示されている場所は、岐阜駅前再開発事業の際に、岐阜駅前電停の移設予定地だった場所です。
展示場所から、名鉄岐阜駅(新岐阜駅前電停)方面へほんの少しだけ、レールが敷かれています。敷石は当時の敷石だそう。
ちなみに、当時の岐阜駅前電停は、だいたいこの辺り。
この場所に岐阜市内線の一大ターミナルがあり、ここから美濃・関方面、金華山方面、岐阜大学・揖斐・谷汲方面へと向かう電車が発着する。……そんな未来はあったのでしょうか。
さて、このモ510。見ればわかる通り、屋根なども付いていない、青空での展示です。
雨ざらしの割には塗装などのコンディションは良好で、とても大切にされてるんだなって感心しました。
ただやはり、屋外展示なだけあって、細かい所を見ていくと、あちこちに錆も見られます。
移設時にかなり念入りに対策されたんだろうなぁって感じの裏面。それでも、うっすら錆が見え隠れしています。車両の保存って難しい……。
あともう少しで製造から100年になる車両ですし、おそらく相応に車体も劣化しているのでしょう。
なまじ赤色というのも維持の大変さに拍車をかけてそう。赤って劣化しやすいんですよね……。この際、美濃電時代の緑色とかにするという選択もありうるのかも。
岐阜市内の公共交通は完全に再編されて、現在は、名鉄バスが市内各所への交通を一手に担っています。
岐阜市に来ると、色々なIFを考えてしまいます。
もし、国鉄民営化が遅れて、岐阜~名古屋の新快速が無かったら。
もし、長良線が廃止されていなかったら。
もし戦後、名鉄が分割されて複数の民鉄になっていたら。
もし、岐阜大空襲後に(名古屋市や広島市などのように)主要な道路の大幅な拡幅を行っていたら。
もし、県庁所在地が岐阜ではなく大垣あるいは加納だったら……。
(2022年9月訪問)