イブ前日の大垣
大分前になりますが、昨年12月23日、大垣へ行ってきました。
大垣は近年、「水の都」というキャッチコピーで観光アピールをやってるようです。
大垣がどこにあるか知っている人は、「あんな内陸部なのに水の都?」って思うかもしれません。しかし、実は大垣は、揖斐川と長良川とに挟まれた水運の要衝で、江戸時代には、川の中に浮かぶ島のような状況でした。そして、近代に至っても、水運が一定の役割を担っていたのです。
まるで任天堂のゲームのような水面。街中であるにも関わらず、水が物凄く綺麗です。川底がよく見えるのですが、川底にもゴミがほとんど見られない。この街にとって川や運河というものは、きっと特別なものなのでしょう。
任天堂といえば。大垣の市街地、とくに大垣公園周辺では、ポケモンGOに興じる人達が沢山。やはり、中高年の方が目立ってました。
大垣城公園
大垣城。関ケ原の戦いで西軍が陣を置いた城です。そして、江戸時代には中山道の街道として、水運の要衝として、美濃街道の起点として、交通の重要拠点にふさわしい大規模な城でした。
今、城の敷地として残っている部分はほんの僅かで、第二次大戦によって城が焼失してしまって以降は天守閣も復興天守となってしまいました。しかし、近年の改修によって諸史料から往時の外観に近付けられ、見事に外観復元天守に。
ちなみに、館内撮影OKでした。……何気に、外国人留学生にオススメな観光地かも。
大垣城天守閣の石垣に、意味深なラインが。
……実はこれ、SCP-612-JP……ではなく、明治29年大洪水時の浸水高を示したものです。この洪水以降、治水工事が行われ、この明治29年洪水は、大垣城を襲った最後の洪水となりました。
大垣城の敷地内には、こんな立派な建物もありました。武徳殿という名前の武道館のようで、窓ガラスの感じから恐らく大正時代か昭和初期頃の建築かと思います。
大垣城は基本市の所有らしいのですが、この建物だけは県の所有で、現在は倉庫としてぐらいしか使ってないとのこと。なんてもったいない!
ここをリノベーションして、喫茶店にするなり土産物店にするなりすれば、かなりの需要が見込めると思うんですがね……。
大垣城公園では、クリスマスのイルミネーションイベントが行われていました。
イルミネーションイベントといっても、どこぞの業者が設営したものでも、最近流行りのプロジェクションマッピングでもなく、市民の有志グループが割り振られた場所に作るというもの。中には物凄くクオリティの高いものもあり、昼間に見ても充分楽しめました。
大垣城公園のすぐ西側には、大垣市郷土館があります。こちらは、館内撮影NGなのですが、こんな素敵な和風庭園があります。
インスタ映えしそう(
大垣八幡神社
大垣八幡神社は、大垣城の外堀(水門川)の北西端にあります。
元々大垣は、東大寺の荘園だったそうで、その東大寺の鎮守が八幡社だったことから創建されたのだそう。
境内には、さざれ石が。……まだ苔むしてはいないようですが。
わかりやすい「水の都」アピール。
……こういうのを見ると、「きっと、市と国交省との折衝、大変だっただろうなぁ……」って思います。川の中(堤防の外側)にあれこれモノを置くのって、河川法とかで大変だと聞くので。
しかし、この石碑は、ぶっちゃけどうなのよ?(^^;)
いや、置きたい気持ちはとてもよくわかるんですが、これが置かれてるせいで、せっかくの風景が台無しになってるように思います。手水舎が完全に隠れちゃってるじゃないですか。
これ、ユネスコの考え方的にマズいのでは……。
大手いこ井の泉
自噴水だそうです。PHは7.4の弱アルカリ。硬度は43mg/Lだそう。この日は、なんと三河ナンバーのレンタカーに乗った人が大量の水を汲んでいました。すげぇ。
旧揖斐川橋梁
大垣城から車で15分ほど。岐大バイパスから細い路地に入ってしばらく行くと、揖斐川に掛かる3本の鉄道橋の下を潜ることになります。
川下側には東海道本線の揖斐川橋梁。川上側には樽見鉄道の揖斐川橋梁。そして、2つの揖斐川橋梁に挟まれるようにして、明治時代に東海道本線が開通した当初に使われていた旧揖斐川橋梁があります。
先に、「3本の鉄道橋」と書きましたが、それは少し語弊があります。というのも、3本の鉄道橋のうち、旧揖斐川橋梁は、現在の東海道本線揖斐川橋梁に役割を譲ったのち、1913年に道路橋に転用されているからです。
すぐ横を、東海道本線の電車や貨物列車がせわしなく走ってゆきます。
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