海ミハ車両区

宮原太聖(Miha)の雑記帳。おおむね週1回更新でした。当面(記事がある程度貯まるまで)はおおむね月1回の更新です。

太陽の塔と大屋根

太陽の塔は、1970年に岡本太郎によって作られた作品です。岡本太郎だけではなく、昭和の大阪万博、ひいては戦後日本を象徴するような建築物として扱われることも多い、すごく有名な物体です。

 

地理院地図だと、両手を横に広げた姿がそのまま表記されていて、なんか面白いです。

 

万博記念公園の入り口を入ると、太陽の塔はすぐ目の前にそびえ立っています。

スマホを設置できる台も置かれていて、それを使うと、こんな感じに簡単に自撮りもできます。

岡本太郎は、大阪万博のテーマ展示プロデューサーでした。そんな彼が手掛けた太陽の塔は、単なるモニュメントではなく、万博のテーマ館でもありました。

 

元々は、地下にも広大な展示室が設けられており、そこから太陽の塔の内部を登って、手から外に出る、といった順路だったよう。

万博閉幕後、地下展示室は埋められて内部展示室も閉鎖されたまま放置されていました。2018年に再整備されて往年の姿に近い状態で見ることができるようになったそう。

今回は見れませんでしたが、次の機会には予約を取って見てみたいですね。

 

さて、太陽の塔のすぐ後ろには、こんな空中に浮いているかのようなモニュメントがあります。これは太陽の塔に覆いかぶさるように設置されていた「大屋根」の一部です。

元々、この大屋根が万博会場の入り口に設置される計画だったのですが、後から、この大屋根を突き破るようにして太陽の塔が建つように設計が変更されました。

 

万博のテーマ「人類の進歩と調和」に、岡本太郎は、諸手を挙げて賛成していた訳ではなかったようです。太陽の塔(地球上に数多存在する生物のひとつとしての人類)が大屋根(工業技術によって作られた天井)を突き破ることで、岡本太郎は、一足先に、愛知万博のテーマ「自然の叡智」に近いメッセージを発信しようとしたのではないでしょうか。
万博終了後、太陽の塔は解体される運命にありました。しかし、多くの人の投書により解体を免れ、現在に至っています。大屋根は解体されたのに。

 

今の太陽の塔は、芝生の上にただただご隠居のように突っ立っているだけのモニュメントに過ぎなくなってしまいました。そこに闘争も、対決もありません。

太陽の塔太陽の塔たるには、カウンターパートナーである大屋根が必要不可欠だったのかもしれません。そういう意味では、太陽の塔は既に解体されてしまったのかもしれません。

 


(訪問:2023年9月)