海ミハ車両区

宮原太聖(Miha)の雑記帳。おおむね週1回更新でした。当面(記事がある程度貯まるまで)はおおむね月1回の更新です。

サツキとメイの家

2022年11月1日、ジブリパークがモリコロパーク内に開園しました。

ところが、ジブリパークには、ジブリパーク開園前から存在している施設があります。それは、「サツキとメイの家」。

サツキとメイの家」は、「となりのトトロ」に登場する草壁家の家を再現したもので、2005年に開催された愛知万博でのパビリオンのひとつとして作られました。

万博終了後、解体か移築が予定されていたと記憶してるのですが、結局モリコロパークに残され続け、やがてジブリパークの計画が立ち上がると共に、ジブリパークの施設として組み込まれる事になりました。

この記事は、ジブリパーク開園前の2020年1月に訪問した時の様子です。

 

モリコロパーク自体は無料で入れるのですが、サツキとメイの家に入るには別途500円ほどの入館料が必要でした。

サツキとメイの家のすぐ近くにある窓口で受付をします。

 

入館はツアー形式となっていて、決められた時間に集合してスタッフに引率されて見学をしていくスタイルです。

 

この日、1月の中旬でそんなに観光シーズンという訳でもないはずなのですが、けっこう来館者がいました。

 

草壁家は日本家屋に洋風の建物が増築されているような、現代の感覚でいうと不思議な和洋折衷の形をしています。これは、明治以降のとくに上流階級の家屋の建て方に原因があります。

 

家屋というのは、単純にその家の主が日常生活を営む場所というだけじゃなくて、政治や事業を行うにあたって重要な人を招いてもてなす場でもあります。

 

明治以降、西欧化に伴ってまた欧米人を招待する場合も想定して、「洋館」が建設されるようになりました。ただ、日常生活から西欧式の生活をするのは当時の日本人にはハードルが高すぎたので、日常生活は日本家屋で過ごし、お客さんを接待する場として同じ敷地内に洋館を建てる、という方法が流行りました。

 

時代が進むにつれ、日本家屋に洋風の「応接間」を設けるような形態へと変化し、現代に至っては基本洋室でむしろ和室の方が接待の場として使われたり、あるいはそれすらオミットされたりしていますね。

 

そういった家屋の歴史の中で、サツキとメイの家は、洋館から応接間に至る中間の形態をとっています。おそらくは、元々純日本家屋として建てられ、草壁家が引っ越す前の住人が洋室を増築したのでしょう。

 

 

現在、洋室は、大学の考古学教室に所属している草壁タツオの研究室として使われています。

 

この資料やら自治体史やらが積まれたり積まれてなかったりするの、めっちゃあるある。

 

室内は、混雑と建物の傷みを避けるために、順番に入れるようになっています。

中には、戦後・高度経済成長期のレトロな家財道具などが置かれ、ちょいとサツキが出てきても不思議じゃないような雰囲気に整えられています。本当によくできています。

 

このサツキとメイの家、まあ言ってみれば築浅のニセモノなんですが、だからこそ、屋敷にお客さんを上げることができるわけで。こういう形での「保存」もアリなんじゃないかなぁと思いました。

 

 

おまけ。

サツキとメイの家のすぐ近くにあった電信柱。

 

なんか怪しげなタグが付いています。

 

もうひとつ。こちらもよくよく見てみると……

 

東京電気株式会社製造。現在の東芝かな?