海ミハ車両区

宮原太聖(Miha)の雑記帳。おおむね週1回更新でした。当面(記事がある程度貯まるまで)はおおむね月1回の更新です。

長篠城・長篠城史跡保存館

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長篠城は、今の愛知県新城市にあった城郭です。

 

 

武田軍と織田・徳川連合軍との戦いとして知られる、設楽原決戦ですが、そもそも、武田軍によって包囲された長篠城に対して織田・徳川軍が救援に来たのがきっかけでした。

 

長篠城は、南半分を深い谷と川に囲まれた、天然の要害に位置しており、現存しませんが、北側にも堀が巡らされた難攻不落の城です。武田軍は、近隣の尾根に砦を築いて包囲。

 

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結果的に、武田は設楽原で多くの武将を失い、悲劇的な凋落へと進んでゆくこととなります。平安末期から続いた甲斐源氏の、終わりの始まりでした。

そもそも、長篠城の城主の奥平氏は、武田氏の家臣でした。それを織田家と徳川家が調略した結果、徳川家に寝返り、怒った武田軍に包囲されたという次第。ここで織田・徳川軍が救援できなかったら、今後の調略や信頼にも響いたでしょうから、両者にとって負けられない戦いだったといえるでしょう。

 

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現在、長篠城はごらんの通りの広場みたいな状態になっています。

設楽原決戦の後、新たに新城城が造られ、役目を終えた長篠城は廃城となりました。

 

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一部に残った土塁と堀が、当時の状況を偲ばせます。

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城址のすぐ横には、飯田線が。

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城址の一角には、このような碑があります。1914(大正3)年に建てられた碑で、1836年に、今のアメリカのテキサス州で起きたテキサス革命(テキサス独立戦争)中の「アラモの戦い」を顕彰するものです。

当時、メキシコの支配下にあったテキサスが、メキシコの圧政から逃れるために起こした革命です。この碑で顕彰されているアラモの戦いでは、200人前後のテキサス軍が1600人ほどのメキシコ軍に包囲され、テキサス軍は全員が戦死しました。

最終的に、テキサス軍はメキシコ軍に勝利し、テキサス共和国として独立。1845年にアメリカに併合され、テキサス州となりました。

……で、そんなアラモの戦いの碑がなんで極東のこんな城址にポツンとあるのかというと、「日本ライン」や「日本アルプス」の命名者として知られる志賀重昂が、「アラモの戦いと長篠城の籠城戦はとてもよく似ている」と感銘を受けて碑を寄贈したとのこと。 ま た お 前 か 。

 

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長篠城址に隣接して、長篠城史跡保存館という資料館があります。とても古い建物で、耐震とか展示ケースの温度湿度管理とか色々と心配になる上に展示スペースも非常にこじんまりとしていますが、職員さんの愛情籠った手入れがなされていて、好感が持てます。

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手作りの復元模型も。寄贈だそうです。こういうのって、ほっこりしますよね。

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平氏は、のちに中津城大分県中津市)の城主となりました。その縁で、館には中津城に関する資料も展示されています。

 

このほか、設楽原歴史資料館に圧で劣らないほどの火縄銃のコレクションの展示があったり、その規模の割には見所がとても豊富でした。

有料の施設ですが、設楽原歴史資料館とのセット券なら幾分安くなりますし、大満足。

 

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長篠城史跡保存館の建物の壁に、日本百名城のスタンプが設置されています。

押印する紙などは設置されていませんので、自前で用意するか、あるいは、日本百名城公式のスタンプ帳を予め購入しておきましょう。

 

jokaku.jp

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ちなみに私のおすすめは、この、『日本100名城と続日本100名城に行こう』。各城のかなりがっつりした解説がついています。

この本に限らず、100名城の公式スタンプ帳はいずれも書籍扱いですから、近所の書店に問い合わせ・取り寄せをお願いするといいでしょう。

 

(訪問:2022年3月)