岐阜羽島駅は、東海道新幹線の名古屋駅と米原駅との間にある駅で、こだま号と一部のひかり号しか停車しません。在来線の駅もJRのものは無く、名鉄羽島線の新羽島駅が隣接しているのみです。
がらんとした駅前。1964年に駅ができて、もうすぐ60年が経とうとしていますが、天下の東海道新幹線の駅前とは思えないほど。
そして、新幹線の駅の駅前公園とは到底思えないような、やや寂れた印象のある駅前公園に、
突如現れる巨大な銅像。
大野伴睦は、岐阜県出身の政治家で、最終的に自民党の副総裁にまで登り詰めた、戦後政界の大物です。タカ派の保守として知られますが、「代議士は落ちればただの人」という名言も残しています。
この人の銅像が岐阜羽島駅の駅前にある理由は、少しややこしいものがあります。
岐阜羽島駅は「政治駅」と呼ばれる事があります。元々、岐阜県には駅を作る予定が無かったものを、大野伴睦が無理やり線路を曲げて、駅を作らせた、という話が、まことしやかに広まっています。
当時、岐阜県としては、岐阜駅か大垣駅の辺りに駅を設置して欲しいという意向だったようです。ところが国鉄としては駅を設置する計画は無く、岐阜県知事から仲介を任された大野伴睦の尽力によって、岐阜羽島駅が造られた、そのような物語が信じられています。
しかし、実は国鉄は、関ケ原の積雪対策などのために、最初から岐阜羽島駅を作る予定だったようで、それを隠して大野伴睦と交渉。その「妥協」として、つまり、新幹線を岐阜駅や大垣駅に接続させることを諦めさせる代わりに、(最初から作る予定だったけど、大野伴睦の顔を立てる形で)岐阜羽島駅を建設することにした、というのが実情のようです。
大野伴睦は、地域の利権よりも国全体の効率を優先した上で、地域の利権を守ることに成功した、と見せることに成功しました。
こういう、高度に政治的なやり取りができる政治家、最近めっきり見なくなったように思います。あるいは、どこぞで暗躍してるのでしょうか。
さて、半ば陸の孤島のようになっている岐阜羽島駅ですが、すぐ南に名神高速道路の岐阜羽島ICがあり、自動車でのアクセスを前提にすると意外と交通の便が悪くありません。
近隣には、新幹線の駅周辺としては破格の安さで停めれるコインパーキングがずらりとあり、パーク・アンド・ライドにはとても便利な駅です。東海環状道の山県~大野神戸間が開通したら、きっと、一層便利になるでしょう。
(訪問:2022年3月)